| 昭和6年4月1日開館 |
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初代館長 永國亀齢(ながくにきれい) |
"月の名所"の景勝地に昭和3年5月27日に坂本龍馬像が建立され、桂浜はさらに人気を高めていた。同地生まれの初代館長が、その頃上阪のついでに堺大浜の水族館を見て感動。
地元の友人に働きかけ機船底引き網でとれる土佐湾の種々の魚を生かして見せる水族館と釣堀を開設した。
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| 昭和9年9月21日 |
室戸台風の致命的な被害にあい一時閉館。 |
| 昭和10年9月11日 |
鉄道土讃線の開通。 |
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3月22日から5月5日までの45日間 土讃線全通記念第1回南国土佐大博覧会(入場者数44万人)。主会場の鏡川べりの柳原(みどりの広場)の第二会場として桂浜に本格的な水族館を建造した。この大博覧会を目当てに当時、対岸の種崎でも水族館を建造中で、初代館長はそれに負けない設備を五台山の山中で秘密裏に小作りし、こっそり桂浜に舟で運びあげ一夜にして建て上げたといわれている。
日本一の龍馬像が、東京から神戸に汽車で運ばれ、さらに汽船で運搬されて竜頭岬巌頭に立ったのを真似たとも、秀吉の清州城構築戦法ともいわれた。
当時、底引き漁業で財をなしていた初代館長は、この時浦戸城址の山頂(龍馬記念館の北側)に洋風の展望台も建設。浦戸湾を巡航船でくる観光客に「水族館は桂浜」と、拡声器も利用して呼びかけたという。
3月竜王宮祭に野口雨情を招待。雨情次の一詩を残している。(2階展示室に陳列中) |
| 昭和13年4月9日 |
初代館長 流行性肺炎で急逝(享年五十三歳)
二代目館長 亀齢長男 永國 寛(ながくにひろし) |
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太平洋戦争
三代目館長 亀齢三男 永國幸夫(ながくにさちお)
四代目館長 亀齢四男 永國寿一(ながくにじゅいち) |
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南国高知産業大博覧会の第2会場として桂浜には保勝会が設立され水族館を中心に戦後の観光開発プロジェクトが動きはじめる。
25メートルのプールが増設され、生け捕りした鯨を浜に線路を敷き運び入れるという世界でも例を見ない試みにも挑戦。しかし鯨をプールで飼育するという試みは、博覧会の会期中に鯨が絶命。後半はホルマリン漬けにして展示する結果となった。ペンギンなどがお目見えしたのもこの時。25メートルプールは、その後ガシラやブリの釣り堀として人気を集めた。 |
昭和27年3月
(1952年) |
社団法人化
高知県の博物館第1号に指定される。 |
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南国高知総合大博覧会に参加
NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」放映。桂浜観光の客の遊覧コースにも変化が。 |
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南国高知産業科学大博覧会に参加 |
| 昭和45年 |
十号台風被害大 |
| 昭和59年3月 |
黒潮大博覧会の第2会場に指定されたことを契機に新館建設。現在地に移動して現在に至る。 |
| 平成元年8月23日 |
五代目館長 亀齢六男 永國 昌(ながくにさかん) |
| 平成17年4月20日 |
六代目館長 永國雅彦(ながくにまさひこ) |